鹿島茂『怪帝ナポレオンIII世』

怪帝ナポレオン3世

怪帝ナポレオン3世

マルクスがあまりにも名言を持ってナポレオン三世のことをコメディとして位置づけてしまったために、まじめに論じることもバカらしくて、なかなか取り上げる人のいなかったナポレオン三世を、見事なまでに読みやすくまとめている。

ただ、残念なのは、伝記の範疇を超えていないことであろうか。確かに、ナポレオン三世へのマイナスな思い込みを払拭することには成功しているが、果たして新たなる位置づけとして成功しているかと言えばそうでもない。

いままでも、政治史ではない分野、特に文化史においては、ナポレオン三世、特にオスマン知事への評価は高かったわけで、著者はマルクス史観を仮想敵にしているが、そこにもはや誰もいない以上、敵視してもあまり意味は無い。文化史の業績をも修正するような、もう一歩が欲しかった。

パリ大改造は言うに及ばず、第二帝政は現在のパリを、ひいては現在の消費都市を創り出した非常に重要な期間である。鉄道が引かれ、大通りが通り、デパートが生まれ、ブランドができた。それを生み出したのは、ナポレオン三世による産業革命や万博やらの、いわば「殖産興業」的な政策である。

イギリスのように、ひたすら功利的な産業化に邁進するのではなく、ヴィジュアル面に非常にこだわったのと、貧民救済を目指すサン=シモン主義的なある種の社会主義政策をとったところが、非常にフランス的であろう。これをイギリスが1830年代に行った産業革命と同じと考えていいのかよくわからないが、おかげでフランスはイギリスと肩を並べる工業国となった。

ところで、忘れてはならないのは、第二帝政は日本の開国から明治維新にあたるということである。このことは必然ではないが、それほど偶然でもない。第二帝政がイギリスにおける産業革命ーロンドン博によっておきた大波を浴びて誕生したのであれば、49年のアメリカのゴールドラッシュから起きる西海岸ー太平洋ー極東への膨張もまた、その大波の行く末であり、日本の開国も、産業ブルジョワ天皇制もまたそうだからである。

産業革命は、社会進化論的に国の成長具合によって起きると考えるよりも、ロンドンで起きたビッグバンがどうやって波及していったかで考えた方が分かりやすい。明治政府がかぶった波と、第二帝政がかぶった波が、同じ波ではなくとも、震源地が同じだと想定する見方は有効だろう。

ところで、普仏戦争などせずに、もう少し、第二帝政が続けば、日本はプロシアではなく、フランスを模倣しただろう。結局民族の傾向に合わず、途中でやはりプロシアを模倣することになったかもしれないが、ナポレオン的な天皇制というのもあり得たのかもしれない。