エルンスト・ゴンブリッチ『若い読者のための世界史』

若い読者のための世界史(上) - 原始から現代まで (中公文庫)

若い読者のための世界史(上) - 原始から現代まで (中公文庫)


25歳のときに、一日一章書いたという。

なんという能力の高さと関心するが、なるほどとも納得する。

自分のなかに蓄えが無いときに出会った、膨大な知の体系を、強い興味を持ちながら体得し、それを人に語りながら整理していくと、こういうものになるのは良くわかる。自分で分かろうとしつつ、人にも分かってもらおうという作業が、この名著を生み出したのだろう。なにしろ、語った相手は妻になる人物で、それゆえに丁寧に、分かりやすく語ることに手を抜かなかったのだろう。もっとも、そんなこと、誰にでも出来るわけが無い。知的な能力の高さと、他人への優しさを兼ね備えた、希有な人の著作である。

この本は、当然、ヨーロッパ中心史観である。そのことにたいして批判も多い。しかし、最初に書かれたのが1935年であること、書いたのがヨーロッパ人であることを考えれば、そうなるのも当然のことであろう。大事なのは、そのことを認識して読むことである。そうすることによって、無理に中立な立場に立って書こうとした歴史よりも、得るものがあるだろう。

司馬遼太郎が言っていたように、歴史は、誰が誰に語ったか、が大事である。普遍的な世界史などというものは存在しない。正しい歴史観など、あるはずもない。書き手は固有名詞の誰かであり、書き手が想定した読み手も書き手の頭のなかにある固有名詞の誰かである。それが、どのような性格の誰であるのかを読み解くのも、歴史学においては重要なことであろう。

この本における、1935年のヨーロッパ中心主義が、如実にダメなところとしては、進歩史観に囚われているところである。近代は「啓蒙主義」以降、様々な問題を克服するように動いている、と素直に書いている。第二次世界大戦前のことなので、無理も無い。しかし、ドイツ人の著者は、この本を書いた後、思い知ることになる。

この本は、85年に少しだけ書き改めて再版されているのだが、「50年後のあとがき」において、そのへんの経緯には触れられている。しかし、本人は自覚的であっても、なかなかヨーロッパ中心主義の進歩史観からは、なかなか抜け出せるものでもなかろうし、また、一度書いた本を大きく書き改めるのは不可能なので、若干の修正で済ませたらしい。それを批判しても意味はあるまい。

著者は、啓蒙主義の三大原則、「寛容」「理性」「人権」を、人類の偉大な到達点として非常に強調している。しかし、人類は本当に、それらに到達できたのであろうか。ゴンブリッチが生きていた間は、確かにナチスという過ちはあったものの、人類はそれを克服し、それゆえに、三大原則が重要であるという認識に到達し、それらを放棄することは二度とあるまいと確信を持てたであろう。

しかし、今はどうだろうか。

寛容と理性と人権が、日本においてすら、確固として存在しているとは言い難い。その現状を見ると、歴史上、存在していたとも言い難くなってくる。そうなるとまた、歴史の語り方が変わってくるはずだ。今なら、25歳の歴史家は、どう、歴史を書くだろうか。