大内秀明『ウィリアム・モリスのマルクス主義』

ウィリアム・モリスのマルクス主義 アーツ&クラフツ運動の源流 (平凡社新書)

ウィリアム・モリスのマルクス主義 アーツ&クラフツ運動の源流 (平凡社新書)

帯に「マルクスの正当な後継者は、ウィリアム・モリスである。」とある。

別にモリスは、マルクスの後継者でなくてもいいのだ。マルクスとは違う社会主義の可能性を切り開いた人と、位置づければいいだけのことだ。実際、マルクス以前のフーリエとかサン・シモンに近いことは、すでに多くの人が述べている。

だから、あえて、こういうことを言ったのだとは思う。

エンゲルスの「空想的社会主義者」という、いちゃもんのおかげで、モリスはマルクスと対立する人のように思われていたし、モリス自身も、マルクスは難しくて良く分からん、といったような言葉を残している。しかし、モリスはフランス語版の『資本論』をかなり熟読していたし、マルクスの娘とも親しく、葬儀や一周忌にも参加している。実際に、学問的な影響も大きいだろう。著者にすれば、なにも、エンゲルスの言うことを公式の解釈にしなくてもいいじゃないか、ということなのだと思う。

マルクス主義経済学は、風前の灯に違いない。ちょうど、今から原子力について学ぼうとするぐらい、若い人がマル経を学ぶのは困難であろう。1991年にソ連が崩壊して、これからは社会主義も多様な時代だと思ったのも束の間、社会主義全体がダメなものとして確実に打ち捨てられてきた。そんななかで、マルクス主義経済学を唱えたところで、耳を貸す人は少ないだろう。

しかし、この本の第四章を読めば分かる通り、マルクス主義経済学者は、歴史に対して違う目を持っている。唯物史観と言えばそれまでのように思うが、実際は違う。冷戦下、ソ連側に立って世界を見た目で、冷戦後も世界を見続けているのだ。なので、まったく唯物史観ではないのだが、それゆえに主体の持ちようが、他の歴史家とは違っており、違う歴史を紡ぐことが出来る。

著者がモリスに着目したのも、そういった、違う目によるところが大きい。モリスは、根本として社会主義者なのに、そのように紹介されることは少なく、紹介されたとしても、何が独特なのか説明できる人は少ない。そういった意味では、この本の価値は大きい。

残念なのは、第三章までが、比較的退屈なことだ。退屈なのは丁寧な仕事をしているからでもあるが、マルクス主義経済学の独特な言い回しや省略の仕方などが分かりづらく、議論も細部に入り込んでしまっている。それに比べて、震災後急遽書き足した第四章は、実感のこもった読みやすいものになっている。できれば、第四章を再構成して膨らませ、そのなかに、第三章までを散りばめるような本にして欲しかった。著者には、もっと現代の社会がどう見えているか書いて欲しい。

あとは、宮沢賢治だけをあげていたが、武者小路実篤やら柳宗悦やら、日本にはもっとモリスのギルドに近い運動は存在する。ただ、このへんは、別の研究者が取り組むべき課題であると思う。