川添登『今和次郎 その考現学』

今和次郎―その考現学

今和次郎―その考現学

今和次郎の晩年の弟子である川添登によって書かれた本書は、今和次郎についてもっとも詳しい本であることには間違いないのだが、果たしてこれでよしとするかは難しい。

まずなによりも、今和次郎考現学はイコールではない。今和次郎には、考現学以外にも生活改善運動の担い手という顔があったことは見逃してはならない。また、考現学は吉田謙吉という重要人物がいなければ成り立たなかったわけであり、今和次郎について論じてばかりではどうも片手落ちだ。やはり今和次郎を論じるのか、考現学を論じるのか、どちらかの立場に立たなければいけないだろう。

そのへんのところは川添さんもよく分かっているので、今が提唱したもう一つの学問である生活学にふれ、今のパートナーとしての吉田の役割にも触れている。しかし、川添さんの視点は、当然自らの立場からしても、結局今和次郎を建築家として位置づけてしまうところにあり、建築家今和次郎がいかに「建築外」の建築家であったか、欧米にも見られないユニークな建築家であったかということを言うために、今の業績を再編集してしまっているところがある。

これはあくまでも、川添さんが作り出したフィクションとしての今和次郎であり、そのことは考慮しなければいけない。ただし、伝記を書くというのはフィクションを書くということなのだから、川添さんには罪は無い。問題は、川添さんに遠慮するばかりに、違う今和次郎像を出せないところにある。藤森照信は非常にいい加減な今和次郎論をするが、それでも違う人物像を見せてくれることに関しては、評価してもいい。

考現学を議論する際に、大変虚しいのは、考現学の始祖が誰であったか、考現学は有効な学問かということに終始してしまうことが多いことであろう。もちろん、そんなことには興味を持たず、ひたすら採集をするという立場もあるが、それこそさらに虚しい。

藤森さんと川添さんは、考現学の始祖が今か吉田かで対立しているようだが、どちらが先かということが問題ではなくて、あの時代に、どうしてあの方法論が有効性を持つようになり、その後も消えないでいるかを考えた方がいい。偽物として批判の対象となっている、今和次郎以降の俗流考現学だって、なぜそれが考現学として名乗ることが出来、名乗ろうとしたのかというのは大きな問題であり、その名において何がなされ杳としてのかは十分に検討に値することなのだ。

今和次郎考現学は、マスメディア的なものにたいする対抗的表現でもあった。採集を行いスケッチで表現したのは、マスメディアでの言説が正しいかどうかを確認するためであったし、写真より解説入りのイラストの方が伝達手段として優秀だったからである。単に風景を撮るのであれば写真の方がすぐれているだろう。しかし、人間の生活の複雑さ、都市的なものの猥雑さを伝えるのには、イラストの方が向いていたのだ。考現学を成立させるものがあって、考現学が成立したのであって、決して突飛な発明ではないのだから、本家や元祖を求めても無駄だ。

考現学は、紀伊国屋で展示された後、出版物となった。動機から終焉まで、対象から方法まで、全てマスメディア社会的なのだ。