ワルター・ケンポウスキ『君はヒトラーを見たか』

ヒトラーの同時代を生きた人たちに、「あなたはヒトラーを見ましたか?」という質問に対する回答を並べただけの本。

今となってはリアリティが無くなってしまい、証言の裏にある時代の空気を感じることは難しくなってしまったが、本の構成としてのアイディアのシンプルさと秀逸さは右に出る物がないだろう。

長い回答でも一ページかそこらで、印象的な文章はほぼ皆無である。しかし、その短いコメントの集積として時代全体が浮かび上がってくる。誰も特別な体験はしていないのに、特別な時代になってしまったということがよくわかる。

巻末のハッフナーの解説も素晴らしく、ヒトラーの時代がどうであったかが簡単に分かるようになっている。しかし、現代の読者に対しては、巻頭にヒトラーナチスに関する簡単な解説がいるだろう。

ドイツ人がヒトラーを忘れようと努力してきたおかげで、今ではナチスはハリウッドの映画のなかのおかしな集団としてしか存在していない。ハッフナーは、忘れることはドイツが再びナチスに傾くよりはましと考えているようだが、果たしてそうだろうか。

日本人は、先の大戦がアジアの人ひどいことをした蛮行で、同時に因果応報として日本人にとっても辛いものであったとして記憶を固定しようとしているが、それと同様、忘れることも、二度と起こさないための抑止力にはならないだろう。

人々がいかに歓迎し、楽しみ、生き甲斐を感じたかを生き生きと描くことこそ、大切なことだろう。

中道寿一『君はヒトラー・ユーゲントを見たか?』
児玉隆也『君は天皇を見たか』
といった本は、もちろん本書を意識して書かれた。

君はヒトラー・ユーゲントを見たか?―規律と熱狂、あるいはメカニカルな美

君はヒトラー・ユーゲントを見たか?―規律と熱狂、あるいはメカニカルな美