ヘンリー・ペトロスキー『<使い勝手>のデザイン学』

〈使い勝手〉のデザイン学 (朝日選書)

〈使い勝手〉のデザイン学 (朝日選書)

デザインについて書かれた本であるが、タイトルの通り、美しさではなく使い勝手について論じられている。しかも、「作られたものは全てデザインの産物なのである」という着目点から、論じる範囲は、ほぼ無限に広がっている。

実際に取り上げられているのは、グラス、ライト、カップホルダー、スーパーマーケット、レジ袋、ダクトテープ、皮むき器、椅子、ドアノブ、電気スイッチ、10キー、歯ブラシ、わが家、階段と、ほとんど日常生活で毎日お世話になるもので、触れずに過ごす日はほぼ皆無という代物だ。それらの問題点を議論しながら、歴史的に語られているというのが本書の特徴だ。日々を、デザインという眼差しで見つめ直す行為の集積として本書はある。

日本においては、こういった工学的な視点からのデザイン論は珍しい。畑中洋太郎の失敗学や危険学が非常に近い存在とは言えるが、畑中氏の場合、デザインという概念ではなく、安全性という概念が先にくる。つまり使いやすいかより、使っても大丈夫かという考え方だ。

もちろん、どちらが素晴らしいということは全然なく、アプローチの違いとしてどちらもが尊重されなくてはいけないのだが、アメリカにおける、こういったヒューマンファクターズ、あるいはエルゴノミクスといった分野が、実は非常に商業主義的だと言われる1930年代のインダストリアル・デザインに端を発していることは、覚えていてもいいだろう。

レイモンド・ローウィをはじめとするアメリカのデザイナーたちについては、ともすると、世界を商業主義デザインの波で飲み込んでしまったというだけで片付けられてしまうが、アメリカのこういった非常に工学的な発想に由来するユニバーサルデザインの先駆けとなっているのは、ローウィと並んで著名な、ヘンリー・ドレイファスが行った『The Measure of Man』のプロジェクトである。

アメリカの場合は、第二次世界大戦を経ることによって、デザインが軍と非常に密接な関係をもつという事情がある。バックミンスター・フラーや、チャールズ・イームズといった芸術的でユニークなデザイナーたちまでが軍と仕事をしたのは有名である。それに、ヴェトナム傷痍軍人たちの権利意識が加わって、ユニバーサル・デザインが形成されていくわけだが、ペトロスキーのような人が、アメリカに出て、なぜ日本にでないかは、そういった、物とデザインと工学と社会との関係が日本とは異なるからだという背景はきちんと理解しておく必要があるだろう。ということは、日本に畑中さんがでたことも、事情があるはずだ。

本書で特に面白いのは、ドアノブへの指摘だ。ほんとうにユニバーサル・デザインが必要なら、真っ先に違いが出るのはドアノブのはずだ。身長、手の大きさ、力具合、など様々な人間の違いがダイレクトに出る。そのため、最近ではノブをいろいろな形にして、老人でも簡単にドアが開くような工夫がされているが、ノブの高さはほぼ一定であり、何よりも不思議なことに、誰しもが、その高さが一番ドアがあけやすい高さだと思っている。

ドアノブだけでなく、階段の高さなんてのもそうだろう。人の動作にあわせて物を作るべきならば、まっさきにカスタムメードしなくてはいけないようなものたちが、画一化された基準で作られて、しかも誰もが不便だと思っていない。それは、身体の方に、物にあわせる能力が備わっていて、以外とその能力が高いからだろう。

本書は、なんでかんでもユニバーサルデザインにしなさいということは決して言わず、日常をデザインされた物として考えることこそが大事だと説いたものである。物の見方のケーススタディと考えていい。

岩本真一『超克の思想』

超克の思想

超克の思想

小林秀雄中村光夫福田恆存について中心的に取りあげている本書のポイントは、彼らがせまい文学界で文芸批評を生業としていただけの存在ではなく、同時に、近代の日本を代表する思想家なのだというところにある。

「近代文芸批評史は、そのまま近代日本思想史なのである」と著者は、はっきり断言している。

彼らは、欧米なみに近代化しなければいけないという「近代の確立」という問題と、近代のもたらしたさまざまな負の課題を乗り超えていかなければいけないという「近代の超克」という矛盾を、文学を題材として批評することによって考えた。つまり、近代になりきれていない日本が、どうやって近代を乗り超えるのかということが、どのように文学者たちの記述にあったのかということが、中心的な命題にあったと言える。

近代の確立と超克の矛盾における葛藤で苦しんだ人々は様々な分野にいるだろう。例えば民俗学柳田國男や、民芸の柳宗悦や、考現学今和次郎らの他に、さまざまな美術家やデザイナーや音楽家といった実践家たちもそうだろう。様々な分野で「日本的なるもの」が話題になる時、その矛盾と葛藤のなかに人々が巻き込まれたのだと考えることができよう。本書は、そういう応用的な分野の人々が抱えた問題を、より純化した形で考えた人々の足跡を丁寧に追った本だと言える。単に、文学研究者や、文学批評研究者だけに向けられていない、開かれた本だと言える。

あえて、難点を挙げるとすれば、座談会「近代の超克」および、その周辺の動きについて、ほとんど触れられていないことだろう。座談会について知らない人間にとっては、座談会の内容を知っていることが前提になって書かれているので、議論自体の意味が掴みにくい。一方で、近代の超克についてよく知っている人間にとっては、それでは著者があの座談会を歴史的にどう位置づけるのかが気になるところだ。著者にはぜひ次回作で、座談会「近代の超克」そのものについて、正面から解説し、論じ、位置づけてもらいたいと思う。

難波功士『創刊の社会史』

創刊の社会史 (ちくま新書)

創刊の社会史 (ちくま新書)

著者自ら「フェチの戯言と創刊号のつぶやきに耳を傾けるタイムトリップ」と言っているように、様々な雑誌の栄枯盛衰をクロニクルにとりあげた新書らしい新書である。

ただ、それだけの仕事であっても、これまでこのように社会背景をきちんと捉えて並べた通史はなかったのだから非常に価値はある。今後は、戦後日本のサブカルチャーを論じる際に、辞書的な使われ方をされることであろう。

この本は、もともと『族の系譜学』のスピンオフである。『族の系譜学』においては、著者はきちんと問題構制についてページを割き、ゴフマンのフレームアナリシス理論を意識しつつ、メディアと、実際の現象と、メディアの受け手の三者の関係性からさまざまなファッションやブームについて通史的に議論をしていた。

一方、この本は、あえて、そういった理論的な枠組みを放棄している。おそらくそれは、まず固定された視点で通史を形成する前に、応用研究の土台となる基礎的なデータの提供を目指したからではないだろうか。

雑誌の歴史的研究は非常に難しい。なによりも資料が残されていることが少なく、現在も発行を続けている出版社に有利な歴史が形成されやすい。さらに、記述する側も、自らの雑誌体験からはなれて記述することは困難だし、自分から遠くはなれた雑誌はリテラシーがないので読むことができない。それゆえ、本書も、著者の雑誌体験とそれによって構築された偏ったリテラシーから離れることはできていない。当然のことではあるが、読む側は意識しておかなければ行けない。

野上元『戦争体験の社会学』

戦争体験の社会学―「兵士」という文体

戦争体験の社会学―「兵士」という文体


戦争にたいする語りを、主に将校、作家、兵士の三つの立場から論じている。ここで論じられている戦争とは、空襲体験ではなく、まさに戦争を行った体験である。それゆえ、銃後のことについてはほとんど触れられていないが、そのような切り口であることに本書の価値がある。

戦争で何が起こったかを語り継ぐことは、言うまでもなく意味のあることであろう。しかし、その語られ方が、画一化していくとしたら、それは問題であろう。そしてそのことが現に起きていることは確かでもある。

戦争体験者に対して、あなたの体験は個別的なものであって、普遍的なものではないと指摘することはタブーである。焼夷弾の雨と火の海をくぐって、道端で焼けこげる死体をさけながら、荷物を投げ捨てつつ逃げ延びたという体験は、確かになされたものである。そしてそれを経験したのが、複数であることも確かである。しかし、それだけが戦争の体験であるかというと、それは大きな間違いであろう。にもかかわらず、戦争と言えば、誰が落としたかを問われない焼夷弾や原爆によって地獄が生まれたということだけに収斂されようとしているのだ。

そうなってしまった理由はふたつある。ひとつには地獄を語ることが、戦争の抑止力になるという判断である。そしてもうひとつは、現に生きていて、語ることができる人が、そういう体験をした人たちだけになってしまったからである。戦中に壮年で戦争の主力となった男女はもう亡くなってしまって、無力な子どもや若年層だけが、今生きて、語ることができるのだ。それゆえに、戦争体験の多声性にこだわる著者の試みはなされなければならない仕事だろう。

ところで著者は、近代国家における「戦争すること」と「書くこと」をかなり特権的な地位に布置している。もちろんどちらも規律訓練によって近代的な身体を形作る、軍隊と学校という二大装置に直結するテクノロジーであるから、当然と言えば当然である。それゆえに、「戦争すること」を「書くこと」という二つの交差点に着目するのも十分な理由があってのことであるが、それでもやはり、「戦争すること」ではない近代(例えば家事をすること)、「書くこと」ではない近代(例えば読むこと)についても十分に留意はすべきであろう。

もちろん、家事や読むことを戦争や書くことのヴァリエーションとして捉えることは可能であろうが、それこそ近代の多声性を黙殺してしまうことになりかねない。

井上章一『キリスト教と日本人』

井上章一さんの本は、記述の繰り返しが多い。
最近の著作になればなるほどその傾向は強い。良く言えば、言いたいことが良く分かる。悪く言えば冗長となる。

とはいえ、視点や論点がつまらないということではない。この本では、キリスト教の日本での受容が最初の遭遇以来、どのように変わっていったのかということを議論している。

キリスト教は日本人にはなじみのあるようで、結局よそ様の宗教であり続けているが、実に400年の長きに渡って付き合いがあるのだ。キリスト教が日本においてどう考えられてきたかというのは、当然一筋縄ではいかない。

かんたんに言うと、江戸の初めの禁教以来、キリシタンは御法度になりイメージは悪くなったのだが、明治時代になるとキリスト教のイメージは決して悪いものではなくなっており、現在になるとむしろ良いものになっている、それはなぜか、ということである。

常識的に考えると愚問のようにも思うが、しかし、丁寧に解きほぐしていくと、明治になって欧米列強と交流するようになったからキリスト教のイメージが良くなったのではなく、江戸時代にはだいぶイメージが向上しているという事実に突き当たる。これなどは資料に直接あたらないとわからないことだ。

さらに問題になるのは仏教との関係だ。仏教は日本の宗教、キリスト教はヨーロッパの宗教とわけてしまいがちだが、言うまでもなく仏教はインドの宗教であり、どちらも外来の宗教だ。つまりどちらも土着ではないのだ。

そのことはもちろん日本人なら誰でも知っていたし、仏教が戦国期にキリスト教以上に支配者にとって邪魔な存在になったことも周知であった。あるいは、布施不受派のように、実際にキリスト教と一緒の扱いをうけた宗派も存在した。また、明治になって攻撃を受けたのは、キリスト教ではなく、仏教であった。廃仏毀釈である。仏教もまたキリスト教同様、愚かな考え方としてきたのが日本の社会ということはよく考えても良いことだろう。

それだけではない。仏教とキリスト教の類似性の指摘は、ザビエルの昔から存在し、どちらが元祖かという論争の旗色によって、宗教以外の文化の伝播の道筋も書き換えられてきた。それは、諸外国でも日本でも同じだった。その書き換えを400年やり続けてきたのだ。キリスト教キリスト教だけでは存在してこなかったわけだ。

近代化=西洋化と思い込むあまり、日本と西洋の文化は明治の頭に出会ったと思いがちであるが、日本は、江戸時代を通じて、西洋の文化や宗教とは接触を避けるという方法も含みながら、接触してきたし、影響も受けてきた。江戸の人たちは想像以上に、インドや中国由来の外来文化に囲まれていることに意識的だったろうし、キリスト教国粋主義的な理由で排除すべき対象だとは思っていなかったであろう。

開国を通して、人々がどう変わったか、あるいは、どう変わらなかったのかは、なかなか分からなくなってしまった。しかし、何もかもが変わったというのは間違いであろうし、江戸の太平の世が何も変えなかったというのも、明らかな間違いである。

海野弘『ココ・シャネルの星座』

ココ・シャネルの星座 (中公文庫)

ココ・シャネルの星座 (中公文庫)

海野弘はかなり奥行きのある人で、歴史を幾筋かのうねりとして立体的に捉えることができる人であるが、12人の有名人との関わりの中でシャネルの実像を捉えようとしたこの本書も、そういった立体化の試みではあるものの、あまりうまく言っているとは言いがたい。

シャネルは、どうしてもスキャンダラスな恋愛の人として捉えられがちで、海野氏もそのことを意識しつつ、そういった解釈から逃れようとしているのだが、逃れきれなかったどころか、かなりどっぷりはまってしまっている。

もっとも、そもそも逃れようとすることが間違いで、シャネルが数多くの愛人を作ったことと、シャネルがモダンデザインを行ったことは同じことであり、他のデザイナーたちをののしったことも同じことなのである。

シャネルが否定して、罵ったデザイナーとしては、ポール・ポワレ、エルザ・スキャパレリ、クリスチャン・ディオールアンドレ・クレージュなどがあげられるが、一見、個人的な嫉妬からの悪口にみえながら、実は、女性の身体がどうあるべきかをめぐるせめぎ合いであったことは見逃してはならない。これらの巨匠たちは、シャネルが構築した機能主義的な身体を脅かすデザイナーたちだったのだ。

12人、人をあげるのであれば、シャネルとの関わりの深さではなく、20世紀前半から半ばへかけての、身体を巡る戦いに参加した人々を取り上げてほしかった。

堀本洋一『ヨーロッパのアール・ヌーボー建築を巡る』

イタリア在住のカメラマンが、ヨーロッパ各地の都市を巡り、アール・ヌーヴォーらしき建築の写真を集めたもの。写真の量、質ともに申し分ない出来になっている。

残念なのは、解説が貧弱であること。確かに建築史家ではない著者は門外漢ではあろうが、これだけ長いことアール・ヌーヴォーを追いかけているのだから、門外漢を気取る必要は全くない。ある意味、一番の権威とも言えるくらい、アール・ヌーヴォーの実際には詳しいはず。にもかかわらず、どこかの建築史の本から引用してきたような史実だけを扱った解説というのはどうであろうか。もっと独自の見解をしみしても良いはずだ。

アール・ヌーヴォーは、植物を基調とした装飾を、鉄やガラスによって作り出す空間の表現様式だが、一概にその常識的な判断に従って区分してしまうのは危険だ。というのも、アール・ヌーヴォーの神髄は、歴史主義に頼らず、独自の表現様式で空間を統一しようとした、その精神にあるからだ。

植物模様が主体となるのは、「神」に対抗する概念として「自然」というものがあったからだろう。19世紀は、博物学の時代であったが、自然を神が作り出したものではなく、まさに自然として発見していった時代でもあった。創造主がいるわけではないのに、複雑で美しい自然の神秘に気がついた時、そこに自分たちを取り巻く空間の様式の源泉を求めても不思議ではない。それゆえに、自然をモチーフにすることは時代の要請ではあっても、必然ではなかった。他の装飾様式であっても、同じような態度で空間の統一性を求めていれば、それはアール・ヌーヴォーと同じ精神を宿すデザインと考えることができるのだ。

加えて、19世紀の終わりは、さまざまな技術や素材の登場によって、それまでできなかった加工が大量にできるようになった時代でもあった。アール・ヌーヴォーに鉄やガラスが多いのはそのためだ。

また、アール・ヌーヴォーは産業ブルジョワジーと工業労働者の街に出現しているのも特徴である。それは、19世紀の近代都市が持つ新しい価値観と、新しい構造が、それまでの歴史主義的ではない空間を必要としたからに他ならない。

アール・ヌーヴォーは文字通り、新しい芸術と考えるべきで、装飾様式の問題ではない。神の秩序を体現するのではなく、大量生産と大量消費が訪れようとした時期の、都市空間の変質が招いた、新しい空間構成の原理である。それゆえ、草花モチーフではないアール・ヌーヴォーも大量にあるはずで、そういったものも見つけ出してほしかったように思う。

アール・ヌーヴォーが盛んになった都市は、まさに19世紀の後半に興隆し、鉄を中心とした工業で大もうけし、記念として都市を飾り、その後、そういった産業構造が通用しなくなったために没落していったところが多い。グラスゴーブリュッセル、ナンシー、バルセロナといったところがそうだ。一時期に都市が飾られ、その後、没落したこともあって、アール・ヌーヴォーで凍結されたような街並が保存されている。というほど、たくさん作られたわけではないが、比較的残っているものが多いのはそういうわけだ。