井上雅人『洋服と日本人』

洋服と日本人―国民服というモード (広済堂ライブラリー)

洋服と日本人―国民服というモード (広済堂ライブラリー)

ファッションの研究には、大まかに言って、二種類の方向があると言いうるだろう。

ひとつは、衣服を美術品の亜種として捉えることで、作家作品論的に捉えて行く視点。もうひとつは、着ることに主眼をおいて、文化人類学的に、あるいは風俗研究や流行研究として社会学的にとらえていく視点だ。

この本では、総動員体制において作られた国民服と婦人標準服という、特定の衣服を取り上げており、それらのデザイナーたちに焦点を当てながら、物が作られるプロセスを紹介しているので、作家作品論的に取り扱っているとも言いうる。

しかし、その一方で、国民服や標準服、あるいは作者が特定できないもんぺといった、およそ美的な作品とは言えない衣服に焦点を当て、その普及過程を紹介してもいるので、社会学的、歴史学的な研究とも言いうる。

なんとも、どちらつかずではある。

しかし、どちらつかずなのは、研究対象とする国民服や標準服/もんぺが、そういったどちらつかずの性格を持っているからであろう。作品論や作家論、流行研究だけではとらえることのできない複雑さを持っているからであろう。

これらの衣服は、政府が強く介入したという点において、大変特殊な風俗である。もちろん、制服や軍服など政府が制定した衣服は多数あるが、日常生活にまで介入したということは、近代社会においては非常に珍しい。というのも、フランス革命において、国民公会が決定したように、服装の自由は近代における自由のかなり核心的な本質だからだ。

それゆえ、衣服の問題において、行政、市場、デザイン、伝統、教育などなど、これだけ役者がそろうケースは非常にまれであり、題材としては大変ユニークで面白い反面、このケースを研究したところで、衣服に関する問題全般に普遍化しにくいという欠点もある。

いずれにせよ、国民服の問題を、単なるナショナリズムの発露として回収せずに、ファシズム下の特殊事例としてしまわずに、ひとつの事例として分析していくという姿勢は貫けている。