横田一敏『ファッションの二十世紀』

ファッションの二十世紀 (集英社新書 466B)

ファッションの二十世紀 (集英社新書 466B)

元『流行通信』編集長が、自らの体験と伝聞と文献から、19世紀の半ば以降のファッションの歴史をまとめたもの。1853年をはじめに、10の年を切り取り、そのときの文化の状況とファッションについて紹介するというスタンスは面白いのだが、どうも年表を読んでいるよう。

年表としてはよく出来ているので、一見して初心者に向いているようにも思うのだが、実はこういうのは初心者には向かない。何も知らない人が読んだら、知らない固有名詞が並んでいるだけで面白みを感じることは出来ないだろう。ある程度知識の蓄積がある人が読んでみて、ああ、そういうこともありましたね、そことここは確かにつながりますね、と再確認することの面白みには十分耐えうる。

著者は、ファッションと芸術や文化のつながりを強調しているが、そういうスタンスはかなり浸透したと思う。それまでのように、衣服の形の歴史だけで一冊本にしてしまうようなことはほとんどなくなったように思う(その点、建築史などは様式史のみに終始している)。著者は豊富な知識を生かして、かなり綿密に網羅できている。

ただ、そうすると、今度は、いわゆる「事件史」になってしまっているという問題が浮上してくる。そもそも、衣服の歴史などというものは、伝統的な歴史ではまっとうに相手にされるものではなかった。いうなれば美術史の亜流で、本筋の政治史の補足の補足ぐらいのものだった。しかし、そういった些末な歴史においてこそ、王朝や政府や大事件の歴史では見えてこない、心性の歴史があると考えたのが「社会史」ではなかったか。衣服の問題は、すなわち「政治」の問題である。言うなれば、衣服とは視覚化された人間観であり、衣服の歴史とは、その人間観の歴史でもある、というのが社会史的な態度であるように思う。

しかし、社会史が取り上げるテーマの重要性が周知されると、その分野で起きた大事件が、重要であるように思えてくる。そうすると、衣服や風俗の分野における「重大事件」の歴史が編まれるようになる。つまり、政治史のやり方で衣服や風俗や流行の歴史を書くという、おかしなことになってしまったのだ。

それはそれで意味の無いことではない。とりあえず、マイルストーンになる事件をおさえておくこと自体は悪いことではない。ただし、そこの背後に潜むそれを成立させている諸条件に目を配らないのなら、マイルストーンは孤立した「事件」となってしまい、社会史自体のあり方を否定する。文化の歴史に関わる人は、そこのところを肝に銘じていなければいけないと思う。

とはいえ、この本は、少ない文字数で、可能な限り広く網を張れている。少なくとも、ファッションジャーナリストになる人は、ここに書かれていることの一字一句まで暗記しても良いだろう。それぐらいの基礎知識は絶対必要だ。